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ラ・ラ・ラ・メディテーション

ラ・ラ・ラ・メディテーション

ジャジメントしないということ

愛は判断することを知らない

愛する和尚
私たちが、否定的な評価をもって人を判断するという姿勢を落とそうとするならば、肯定的な評価をもって人を判断するということも、落とすことが必要になります。この二つのことはいっしょに捨て去る必要があるのでしょうか。


 そうだ。人を判断するということは、それが否定的な評価であれ、肯定的な評価であれ、捨て去る必要がある。誰もほかの人を否定的であろうと肯定的であろうと判断する権利は持っていない。これは人びとを支配する方法だ。誰かを判断するとき、あなたはその人の生に介入しょうとしている。彼の生はあなたのかかわるべきことではない。 真正な人は、人びとのありのままを許す。誰かを良いとか悪いとか判断するのは、私の仕事ではない。

 誰もが自分自身の本質に意識的にならなければならない。人びとを助けたいと思っても、彼らを判断することでは助けられない。人びとをより意識的にすることによってのみ、彼らを助けられるのだ。
 
 人を助けたいなら - それはたいへん美しいし、大きな喜びがあるが - まず第一にその人を全面的に受け容れることだ。彼が誰であれ、何者であれ受け容れるのだ。 存在が彼にもたらした方法で、彼はいるのだ。果たすべき何か必要があって、彼はいるはずだ。彼がいなかったら、存在はほんの少しもの足りないものとなってしまう。少し寂しいものになってしまう。それに彼の代わりをできる者はいない。彼はあまりにも独創的なので、代わりを見つけることはできない。
 
 けれども、人間の全歴史を通じて、私たちは人びとの独創性については教えられてきていない。私たちが教えられてきたのは、人はある一定の方法でいるべきだ、一定の方法で行動し生活するべきだ、ということだ。そうすればその人は良い人ということになる。この地上で、尊敬や敬意で報いられるはずだ。それにそういう人は、あの世でもあらゆる楽しみで報いられる。一方で私たちは、悪というのも教えられてきている。悪いことをした人はここでは非難され、辱められる。彼らは社会から拒絶され、あらゆる方法で苦しめられるのだ。そして最後には、死んでも地獄で苦しまなけばならない。 善悪の基準は絶え間なく変化する。昨日良かったことが、今日は良いことではない。ある日悪かったことも、別の日には良いことになってしまう

……。人びとを判断しないように。それよりも人びとを愛しなさい。あなたは、人を愛するようにとは教えられていない。ところが、あなたは判断することをを教えられてきているのだ。
 
 愛は判断することを知らない。ただ、ありのままのあなたを愛する。あなたの問題はあなたの問題だ。あなたの生はあなたの生だ。それをどうやって私が生きることができるかね? そしてもし私の愛が真実ならば、私が何か努力をしなくても、あなたは変わるかもしれない。あなたを判断することなしにも、あなたを変えることできる。 あなたは私を見ることができるね。
               ′
私は何千人もの人びとといっしょに生きてきた。私は誰かを判断したことは一度もない。ただ、私といっしょにいる人びとをすべて愛しているだけだ。そして私は見てきている。私は何の努力もしていないのに、彼らの内側では途方もない変化が起こっていることを……。
 
 あなたは誰のことも判断するべきではない。あなたはそれ以上のことができる。あなたは愛することができるのだ。その人が瞑想することを、より意識的になるように助けることができる。もしかしたら、あなたの愛とその人自身の瞑想がその人に変化をもたらすかもしれない。変容をもたらすかもしれない。
 
 けれどもこういった変容は外側から押しっけられるものではない。内側からやって来るものだ。一輪の花のように、その人の中で花開く。そして何かが内側からやって来て、花開くとき、それには途方もない美しさがある。
               和尚
    


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